羈旅的日剰備忘録

或る種の逃避記録

秋の忍び足

舊暦九月二十二日の短冊切り

定位置

初めに鳥が喰ひ、人類はその残りを喰ふ。
さういふものだ。

 

短冊だと和風にも洋風にも出来るから良い

 

欅の秋

 
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※以下にFacebookに載せた記事を転載しておきます。
1987年の回顧ですが、さまざまな人物が登場し、さまざまな物語りが展開します。(10月20日 21:26掲載分)
なお、Facebookアカウントをお持ちの方、今回の香港故事の顛末は全てFacebookに投稿してありますので、是非御一讀下さい。
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「隣田寺俊哉」名で検索していただくと出てくると思ひます。
 
 


香港故事はまだまだ続きます。
探しあぐねていた写真を、やっと発掘することができました! 井上陽水老師の言うが如く、探すのをやめた時、いちばん身近な本棚から出てきました。
1997年の香港返還時、中国大陸で出会った広島の星KABOさんこと保森誠氏とともに、ホンハムの小村夫妻を訪ねたときのものです。
後に開くラーメン店の名前でもわかるように、由樹君は爵士=ジャズを中心とするかなりマニアックな音楽ファンで、保森氏も自ら「風流人」を名乗りギターを抱えて中国大陸を旅するような流浪の音楽家です。僭越ですが自分も音楽に関してはクラシックからテクノまで、ヘンリー・パーセルからBeatlesKraftwerkまで、広く浅く、いんちきキーボードも演奏する音楽家、というか音楽ファンだったこともあり、カールスバーグ(嘉士伯)だったのかハイネケン(喜力啤酒)だったのかブルーガール(藍妹啤酒)だったのかサンミゲル(生力)だったのか、はたまた青島ビールだったかは忘れましたが、お酒の力も借りて音楽談義が大いに盛り上がり、当然の成り行きとしてミニコンサートが始まってしまいました。
大切に持っている割にあまり上手くないトランペットを、興に任せてやたらと吹きまくる由樹君の楽しそうな表情に反し、美樹ちゃんがすぐ横で「うるさ~い」といって耳を塞ぐ様子の写真は今見ても傑作で、微笑ましいワンシーンです。
集合写真はいわゆる旅仲間たちと会食した時のもの。ジェニファーさんと娘の美樹ちゃん、広島代表の風流人こと保森氏、先に紹介したWickyさんをはじめ、ジョニーこと許健華先生、そして若くして亡くなってしまっていたロミオさんも写っています。
その時の滞在も当然のようにチョンキンマンションでしたが、香港返還で世界中から押しかけた観光客で全ての宿泊施設は超満員御礼。宿泊代も通常の3倍から10倍になっており、半ば定宿としていたゲストハウスにも入れなかったため、しかたなく老板(オーナー)から紹介されたちょっと怪しげなインド系のゲストハウスに投宿しました。多人房ことドミトリーもありましたが名ばかりで、狭い部屋にぺらぺらのマットレスを並べただけのもので、マットレスの行列はドアの無い部屋からそのままゲストハウスの廊下にまで並べられており、そこにも怪しげな旅人が何人も、あたかも野戦病院の負傷者のように横たわっており、脇を通るのも憚るようなカオスな状況でした。
さすがに廊下のマットレスに寝る勇気は無かったので、自分は実はバングラデシュ出身なのだがインドに住んでいたこともあってネパール人の友だちも多い。日本に行ったことは無いが日本のことも日本人も大好きで何でも知っている。お前が日本に帰ったら訪ねて行ってやるので住所を教えろという鬱陶しいマネージャーに交渉し、窓の無い極狭シングルルームを確保しました。いちおう空調も付いているのですがそれが曲者でスイッチがonとoffしかなく、onにするとドライアイスのようなスモークがもわ~っと吹き出してきて冷凍庫状態に、offにすると部屋はたちまち無風の高温多湿空間に変容し、10分ほどでミストサウナの中より酷い状況になるという恐ろしい部屋です。デジタル的にオンとオフしか選択肢の無い状況は中華文化圏ではよくあることなのでたいて平気なのですが、さすがにこの環境は過酷すぎで、空調onにして半分ドアを開けて二重の毛布にくるまったまま一夜を過ごし(廊下に寝ていたネパール人のおじさんが涼しくて嬉しいといって歯抜けの笑顔で喜んでいた風景が目の奥に焼き付いています)、翌日さらに別のゲストハウスに移動したことは言うまでもありません。
確かに香港返還は歴史的なイベントであり、かつての列強であった西洋が東洋に精算される劇的な場面ですので、誰しもその歴史の現場に立ち会いたいと思う気持ちもよくわかります。大陸と香港それぞれに縁の有る自分もその中の一人でしたが、まさかいわゆる政治や世界情勢とは別世界に住む印象の強いバックパッカーたちまでもがこのようにわんさか押しかけて来ていたとは、予想外のことでした。でもこれは、バックパッカーのお前が言うなという感じですね。(^^;)
さて、返還(中国側の表現は「主権恢復」「香港主権移交」「香港回歸」など)式典を控え、香港はさまざまな予感と予兆、そして漠然とした不安に満ち溢れていました。街全体が微熱を通り越した発熱状態という感じで、市民にしてみればまさに不安と期待が入り混じった興奮の様子が、我々異邦人にまでもひしひしと伝わってきたのです。
街の至る所で世界各國から来た取材陣を見かけましたが、海を隔てて式典会場を望む尖沙咀の天星碼頭周辺にはいくつも特別ステージが設置され、さまざまな有名人を迎えてインタビューの生中継や録画が行われていました。そのうちの一カ所では成龍ことジャッキー・チェンへのインタビューが始まったことに気付いたので接近してみたところ、勝手にガードマンが自分をマスコミ関係者と判断してフェンスの内側に入れてくれたのですが、その時ごく身近で撮影したのがこの写真です。
というのもさまざまな場面を想定し、密かに首から提げるIDカード「のようなもの」や、「報道」と書かれた腕章「のようなもの」を準備して持っていたので、これらの小道具とちょっと特殊な形状のカメラが功を奏し、こういうことになったと思われます。ちなみにこの写真の時は日本のテレビ局からの生中継インタビュー時間で、左側の人は通訳です。
一国両制の方便を得、あれから約20年の歳月が流れましたが、既にいろいろな場面で綻びが見られつつ有る50年不変の原則は、この先30年の安寧を約束しているのかどうか、進化し続ける香港の行方は個人的な感情を別にしても興味が尽きず、この先も見続けたいと思っています。