羈旅的日剰備忘録

或る種の逃避記録

大ラスコー展再び@上野

舊暦正月二十二日の原始繪畫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
※参考記事:巴里に於けるラスコー展の様子(2015年)
Lascaux et la fleur médiévale - DAYS of The Day After Day

 

 大ラスコー展@上野・国立科学博物館
最終日前日の週末ということで、なかなかの入り。パリ版と違って立体メガネコーナーは省略され、日本風にアレンジされた展示内容だったが、白人やアジア人観光客もかなり見かけた。惜しむらくは細かな解説板が全て日本語だったことで、駅の表示の如く三カ国語表記にせよとまでは言わないが、東京という国際都市での開催を鑑みるとせめて英語との併記がされるべきだった。
展示空間もやや狭く、平日の入りだとよいのかもしれないが、週末のキャパシティーには対応しきれず、展示物への接近や観客脇をすり抜けるのみしばしば難儀した。実物大レプリカの展示コーナーはは問題なかったが、ちいさな石器類の見学はガラスケースに顔を寄せるほかは無いので、混雑=見学不可能になってしまうのだ。おまけ的に付加されていた、日本の遺跡から出土した石器類の展示もお粗末な内容で、がっかりしてしまった。
兎に角もっと様々な工夫が施されるべき日本バージョンの展示内容だったが、日本の考古学者が如何に学問としての考古学のダイナミックレンジを狭め続けてきたのか、編年と分類のベクトルを「縮み」方向のみに発揮し続けてきたのかということを、あらためて認識させられる展覧会であった。
例えば、壁画の復元に関しては考古学者と同等の立場で芸術家(主に画家と彫刻家)が参加しており、顔料の選定や描画の技法、道具類の復元まで討論の末にいくつかの技法が試され、その結果がレプリカ制作に生かされている。極めてアナログ的でアルチザン的要素が生かされた分野と同時に、3Dプリンターや精密なスキャンデータが使われていたり、果ては蝋人形の技術者がクロマニヨン人のリアルな姿を立体造形していったようだが、研究から展示に至るまで全てのプロセスで芸術人類学的な発想が十分生かされているように感じた。
とまれ日本の学者諸君(自称・他称を問わず)、もっとがんばってくれたまえ。(´ー`)ノ