羈旅的日剰備忘録

或る種の逃避記録

大高架世界と貝殻山の行方

舊暦十一月十六日
彌生時代の大集落、朝日遺跡の現状。これほどの大遺跡にも拘はらず、車から見える部分にも、自轉車で通行出来る下道にも、遺跡名の表示ひとつ無いことは、愛知縣の文化財行政の敗北と怠慢を象徴してゐる。これではいくら出土遺物が重文指定受けても、遺跡の価値半減に等しい。
遺跡は告知され其の存在を示されてこそはじめて、今生きてゐる者の血肉と成り得るのではないだらうか。
林立する高架橋の柱1本1本が殆ど全て調査区跡地であり、いろいろな記憶と感興が交錯する場所。