羈旅的日剰備忘録

或る種の逃避記録

猫と人類と桃園亭

農暦五月廿三

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www.asahi.comだんだん河村殿の旗色が悪うなってきたのだが・・・
問題の本質はさておき、大村の「はじめからかうなると思ってゐた」發言は許せぬ。人としても知事としても、嘗ての盟友を助けるのが筋であるし、批難するだけでは無く何らかの打開策を講じ提案するのが縣知事の役目のはずだ。こいつの記者會見を何度見ても、常に辯明辯解と威壓的發言に終始し、知性の欠片もエスプリも微塵も感じられない。
今も昔も、歴史に名を残す大事業は冷酷な獨裁者か酔狂なうつけ者にしか出来ないことが多いのだ。言ふまでもなく、河村は後者の典型だ。1600万もの市議議員報酬を800万の庶民並み?に下げた功労も大きいし、あの顔で(失禮!?)文化分野にはかなり興味があるのだ。國會議員時代、巨額を投じて行はれてゐた朝日遺跡の發掘調査現場に、プライベートで何度か見學に来てゐたことは知る人ぞ知る事實である。
今回は河村殿の直截的な手法が文化廳のプライドを傷付けメンツを損ねて仕舞ったことも、此の躓きに關系したのだらうが、此の際専門家たちの助言を真摯に傾聴し、焦らず着實に此の歴史的大事業を進めていって欲しい。
#名古屋城 #河村市長 #大村知事